三代目ヲタがなにわ男子にハマった話 ① 三代目編
三代目JSoulBrothers。
なにわ男子。
方向性も楽曲も、そもそもアイドルとアーティストという類も違う彼ら。
私の日記としても、記録としても、振り返りとしても文字にしたい。書きます。ひたすら書きます。
私は小学校2年生に親の車で流れている
「one love」(EXILE)でEXILEの存在を知った。
「EXILE BALLADE BEST」というアルバム。
8歳の私には歌詞の意味も理解もしようとせずただただ歌っていた。9歳ではいつの間にか14人になっていたEXILEの「FIRE WORKS」のMVでMAKIDAIさんという存在を知った。
元々和テイストのものが好きで大人の男の人が和装でゴリゴリに踊る姿にドキュンドキュン、ズキュンズキュンでその日からEXILEを検索しまくる生活を送った。
当時は私はパソコンを使い始めたばっかだったが、YouTube、EXILEのHPを駆使し毎日ひたすらEXILEを調べては当時22時から「EXILE魂」、深夜(何時か忘れた)に「週刊EXILE」という番組があることを知り録画を見て、毎日を過ごしていた。
(ちなみに私はEXILEメンバーは2章メンバーまではさん付けで呼びます。そういう方多いよね?知らんけど。いや知らんのかいと突っ込んだ方はWEST民!)
そしてついに訪れる運命の日。MAKIDAIさんにハマりEXILEを摂取する日々の中で運命的な出会いをする。週刊EXILEで放送されていた
「VOCAL BATTLE AUDITION 2」
三代目JSoulBrothers のボーカルである登坂広臣、今市隆二を見つけ出した伝説のオーディション。私はハッキリいうとおじさん好きだ。なので20代前半の彼らの姿は頑張っているなあぐらいでそれより番組MCのMAKIDAIさんのワイプを見るために見ていたようなものだった。
しかし、ある日、運命的な出会いをした。
それは三代目のパフォーマーオーディションの密着映像。岩田剛典、ELLY、山下健二郎。
(EXILEでもあるNAOTOさん、NAOKIさんはメンバー加入は決まっている。)
私は1人から目が離せなくなる。
その男の名は
「山下健二郎」
ダンスが好き。顔が好き。二重ヤバい。
これが第一印象。(何個もあるんかい)
そして私を沼につからせた原因。これはこの後書くなにわ男子にも共通することでもある。
そう、
「関西弁」
私は中部地方に住んでいる。関東の方からすれば方言は関西寄りかもしれないが、ゴリゴリの中部地方弁。ゴリゴリ関西弁の方と出会う機会もなく、初めて聞く大人の男の関西弁。いや違う、
「京都弁」
と言わせてくれ。
(実際そこまで分かってないかも…ハハハ…)
山下健二郎は京都府出身、生粋の関西人で粉もんを点滴で入れたいほどにはまだ東京に染まってないらしい。(かわいい。)
ちなみに私が山下健二郎を認知したのは山下健二郎が26か27ぐらい。ここからは山下健二郎を健ちゃんと呼ぶ。(ちなみに健ちゃんと打つと( ◉▽◉)が出てくる。三代目ヲタあるある。)
若いけど、20代前半の若さではないいわゆるお兄さんが関西弁を話している。そしてダンスが上手い。しかもEXILE節(ごめんなさい。LDHって黒光り、サングラス、レモンサワー、ヒゲ、ゴリゴリ筋肉)がほぼゼロ!もはやゼロ!
こんな方がLDHに!?と驚いたのが10歳。(多分)
そこからは一瞬である。
デビュー曲のMV撮影で待ち時間車の中で寝て怒られた事や
2nd Single「On Your Mark 〜ヒカリのキセキ〜」では健ちゃんがラスサビ後、メインダンサーとしてとても長く映ったこと、
6th Single 「Go my way」のMVの健ちゃんのビジュが私の中での過去最高を記録してスクショ、プリントして学校に持っていき毎日提出する毎日日記に貼り付けて職員室に呼び出された事、
書き始めたらキリがなく、私の小学校高学年からは三代目一色、私の青春は三代目JSoulBrothersであると言っても過言ではない。
2014年、春夏秋冬で出たシングル、夏に出たほぼ全国民ご存じ「R.Y.U.S.E.I.」で人気に火がついた時、私は中学2年生。14歳。ど思春期。
周りが三代目JSoulBrothersを知り、好きになる中で嬉しさはもちろん、悔しい気持ちも感じる。今思えば子供だったなあと思うがその時は新規拒否になってしまっていた。どの界隈でまもあるあるだと思うが、その新規拒否を加速させるのには私の周りだけだとおもうが「山下健二郎」の存在が正直他のメンバーより薄い気がしていた。
当時岩ちゃんは「ディアシスター」
臣隆はボーカルとして、NAOTOさん、NAOKIさんはEXILE兼任、コメントを求められる事も多い、ELLYはハーフ、髪型も独特でインパクトがある。そんな中「健ちゃん」は三代目の中でもファンの私としては関西弁の人!と言えるが、知らない人から見た時、「1番右で踊っている人」としか説明できなかった。これはもちろん健ちゃんが悪いわけではない。当時話題性もある真逆の立ち位置、1番左である岩ちゃん、ボーカルの映る秒数がTV出演でもほとんどを占めて、コメントもリーダーかボーカル。
そんな中でもいつもニコニコ、時には真面目に、頷いたり拍手をしたり、細かく反応する健ちゃんが大好きだった。(今もだよ。)
どうにかして周りに山下健二郎を広めたい。でもファンになられたらちょっと悔しい。いやだいぶ悔しい。同ファン拒否にもなっていた。
しかし健ちゃんは凄い。
コメント力、対応力、その場の雰囲気を読み取る力がある。個人的にだが当時のLDHのバライティー出演は正直なところ怖かった。それは縦社会すぎて謙遜する人や冗談が言いにくそうな、でもそれはタレントや芸人ではなく、アーティスト、ボーカル、パフォーマーという目で見れば当然の事なのだが、うーん。と思うところがあったのも事実。そんな中彗星の如く現れたのが健ちゃん。(シャアかよ)
今となってはとてもバライティー慣れしてるメンバー沢山でほっこり。オールマイティーって最高。
しゃべくり007やモニタリング、各バライティーで健ちゃんが話すたび、いいぞ、もっといけと心の底からワクワクした。
ライブは初のドームツアー、「PLANET SEVEN」が初参戦。当時中学校3年生。
親はEXILEも三代目もライブに行く程では無かったので駄々をこねにこねまくり、友達と1日だけ行かせてもらった。初のナゴヤドーム。大きさにビックリ、遠い席だったけど本当に幸せで山下健二郎は実在していた!とオープニングで涙が出て止まらなかったのを覚えている。
高校1年生になるとGW前からバイトを始めた。部活は絶対の高校だが幽霊部員となり三代目JSoulBrothersにここからどっぷりハマりだす。
高校はクラスが女子しかおらず、LDHヲタ、ジャニヲタ、地下アイドル、アニメと何かとヲタクが多く、ヲタクはもれなくみんなバイトをし、全て推しに使っていた。
もちろん私もその1人で先輩もSNSで調べまくり同ファンがいない事が分かってからは楽園だ。怒涛のライブ三昧に合わせグッズ、居酒屋EXILEなど遠征もした。
毎週金曜日「山下健二郎のオールナイトニッポン」は私をラジオ好きにしてくれ、寝落ちも何回もしたけどradikoで全部聞いた。今まで知らなかった事もたくさん知れて、健ちゃんの表裏がなく素直なところ。ハッキリとしてるけどファン思いで、決して雑に物を扱わないこと。パイレーツオブカリビアンをパイオツカリビアンと言ったこと。思い出なんて数え切れないし良さも私との違いもわかったあの番組は間違いなく私の花金だったし、
毎週火曜日の「ZiP!」は私の朝を彩ってくれた。月曜日のライブ終わりでも辛い顔なんて見せず仕事としては当たり前だけどワイプで見れる笑顔にやる気を貰ったし、早起きもしたし毎週火曜日は遅刻してた。(最初は腹痛とかいってたけど最後の方はZiPみてましたと申告してた。ごめんな、先生。)
高校1年生、16歳の時に行ったドームツアー、「METROPOLIZ」のナゴヤドーム公演では初のスタンド最前、「君の瞳に恋してる」で初の指差しをもらった事
高校2年生、17歳の時には健ちゃんが始めての本を出す。「山下健二郎を作った50のこと。」サイン入りも無事に手に入り、さらにお渡し会も当てれた。
健ちゃんの誕生日、5/24は学校を休み京都へ行き健ちゃんとの会話をする。推しと握手をする。こんな幸せがあっていいのか、私の名前を呼んでくれ、目と目を合わせ、笑ってくれた笑顔は一生忘れない。
高校2年生の冬、彼氏ができても健ちゃん愛は収まる事なく彼氏までも三代目にハマらせEXILEも一緒にライブに行き、その人はいまはランペの北ちゃんヲタ。万歳。別れたけど
書き出すとキリはないけど1年連続現場にいったり、1人で東京ドームや横アリ、健ちゃんの舞台やイベントも行った。
高校を卒業してから私は社会人になった。
職場には1人EXILEが好きな先輩がいてその方ともライブに行き、仕事を休める時は休み三代目JSoulBrothersを応援するために仕事をしていた。
しかしそれは突然だった。
コロナにより現場は激減。生で会えず、ここまで少なくても3ヶ月に1回は会っていた(見ていただけど会ったって表現したいよね、、^_^)のに会えないというのは私に大ダメージを与えてモチベーションを下げる。
怒涛の日々のなかついにツアーが発表。全て仕事と被っている。終わった。休みずらせない。もうやだ。となり大号泣していた日々中でそれは知らされる。
私の仕事は休憩の時間が人によって違う。
その日は私は15:30〜16:30。休憩を終える10分前、LINE NEWSを開いた。
衝撃の文字が私の目に入る。
「山下健二郎 結婚」
はにゃ?
心臓のドクドクがこれでもかというほど早くなる。震えてくる。タップする。
目に入ったのはウエディングフォト。
3秒後には涙が溢れていた。
見たくなかった。別にいい、彼女がいてもいいから相手を知りたくなかったし、芸能人として、一ファンとして応援してるのも分かっているし自分自身も高校の時ほど応援に熱がが入っていたかと言われたらそうではない、でもやっぱり好きな人が結婚をするという事実を受け入れれず、その後たくさんの人からありがたい事に連絡を貰ったけど返す気にもなれず、、
休憩を終えた私の目は誰がどう見ても泣いた人で。
でも大好きな健二郎さんが選んだ素敵で綺麗な方を私たちファンに報告してくれて、一切週刊誌にも載らず貫いてくれた事、ウエディングフォトは2人とも本当に綺麗で、悔しいほどに綺麗で。お相手の方も調べれば調べるほど可愛く綺麗、美しくて強い方で。
健二郎さんが結婚を決めたキッカケに
「チャーハンに麻婆豆腐を乗せて食べていてこっちの人だとおもった」
と伝えてくれたけど、このワードが本当に私が今まで見て、聴いて、感じてきた健二郎さんそのままだとおもった。
健二郎さんファンなら分かると思う。
これはガッツリ食べる人が好きとかそういうこと捉えれる。しかしそこではない。
いやそこでもあるんだけど。
着眼点もそうだが、自分を「こっちの人」という所、笑顔が素敵だったとか優しいのでとかそういうことを言わずこのセリフを使う所、言葉では表し切れないけど約10年間、健二郎さんを応援してきた中でこれほど健二郎さんを感じる言葉は無いし、私の中での健二郎さんは現実の健二郎さんとリンクしていて、健二郎さんが健二郎さんである事が本当に嬉しくて。(何言ってんだ)
私の中での健二郎さんの集大成であり、
結婚したから、とかそんな理由ではなく踏ん切りというか、本当に健二郎さんって素敵な人だと思うと同時に私も健二郎さんに依存するのではなく、私として生きていきたいと思った。
ファンを卒業するということでは無いし、ライブに行かないとかとかでは無いけど心の中で整理が付いた。
きっとこれは私にしか分からない感情かも知れないけど、健二郎さんと出会って、応援して沢山の感情だったり生きる楽しさや辛さも知って、健二郎さんの努力する姿で私も頑張れた。
出会えて本当に良かった。
私の10代全てに健二郎さんがいて。
健二郎さんからしたらただの一ファンだけど私からしたら私の全てだった。
そんな気持ちにさせてくれた私の恩人。
ファン辞めるとかじゃないよ。
ただただこんな気持ちにさせてくれた健二郎への感謝の手紙みたいなもんだよ。
本当に幸せそうに生きる貴方が好きです。
沢山のことを教えてくれてありがとうございました。私も幸せになるから!!!円満だね!!
ま、これからもヨロピコ^_^
とここまでが私の三代目いや、健二郎さんヒストリー。
いや長いな。
なにわ編は次回に。
(時系列バラバラ&スペルミス、誤字脱字は許してちょ^_−☆)
#三代目JSoulBrothers